『鎌倉幕府成立年 「1192」 「1185」 も違う?』

『鎌倉幕府成立年 「1192」 「1185」 も違う?』

 2022年の大河ドラマは「鎌倉殿13人」であるが、歴史教科書で学生時代に学んだ内容が多くの部分で見直されている。書店で日本史に関連した書籍を数冊開いて鎌倉幕府の成立年を確認しようとページをめくり見てみると成立年について記載されていないことに気づく。「歴史は動く、そして変わる」ということなのだろう。

「いい国(1192)つくろう鎌倉幕府」と日本史の授業で教わった馴染みの深い、源頼朝が開いた鎌倉幕府である。
「1192年、源頼朝は征夷大将軍となり、鎌倉に幕府をひらいた」と教わり、「イイクニ(1192)つくろう鎌倉幕府」のゴロ合わせで年号を覚えた人も多いはず。小生もその一人である。

『鎌倉幕府成立年 「1192」 「1185」 も違う?』

しかし、現在の中高教科書を開いてみると、「鎌倉幕府が1192年に始まった」とは書かれていない。源頼朝といえば真っ先に浮かぶ右の絵、「有名な肖像画」も、実は「別人だった」可能性が高いことがわかってきた。
 鎌倉幕府と源頼朝にまつわる「日本史の最新常識」について学び直すことにした。

高校の日本史の教科書としてよく使われている山川出版社の『詳説日本史B』でも、「1192年に鎌倉幕府がはじまった」とは書かれていない。
「何をもって鎌倉幕府が成立したと考えるか」によって年代は違ってくるからというのが理由のようである。幕府による支配体制は、「実質的」には、征夷大将軍に任命されるより以前に、「5つの過程で少しずつできあがっていった」というのが実態のようである。

その5つの過程とは、次のように考えられている。
① 家臣(御家人)を統制する「侍所」が設置された1180年
② 院庁(いんのちょう)から頼朝の東国支配が承認された1183年
③ 主要政治機関(公文所・問注所)が設置された1184年
④ 守護・地頭を設置し、全国の土地管理権を掌握した1185年
⑤ 奥州を平定した1189年

 その中でも、「政権」という意味で最も重要なのが、各地の軍事・警察権を掌握する「守護」と、年貢の徴収や土地管理を担当した「地頭」を任命する権利を頼朝が得たことである。この点を重視して、④ の「1185年の守護・地頭の設置が幕府の成立年である」とする有力な考え方がある。

ちなみに、⑥ の征夷大将軍に任じられた1192年は、実質的にできあがっていた幕府の体制が、「名実ともに完成」した年ということです。つまり「名」をとるか「実」をとるか、それによっても成立年は変わってくるということである。

ただし、この問題は研究者によって解釈が分かれているが、「ある特定の出来事、年代を指して鎌倉幕府が成立した」と考えるのではなく「段階的に成立していった」と考えるのがいまの歴史学の「標準的な見解」のようであり、教科書では、①〜⑥の特定の年に成立したとは明記しないのが「最新の日本史」になっている。

「源頼朝」といえば真っ先に思い浮かぶ「あの肖像画」である。ところが近年の研究により、絵そのものが作者といわれる藤原隆信本人の筆によるものでない可能性が指摘され、状況は一変した。さまざまな史料からこの絵の由来を検討すると、室町幕府を開いた足利尊氏の弟の「足利直義(ただよし)」の像である、という見解が出された。
この論争には決着がついていませんが、新説の論拠には説得力があり、かつてはどの教科書にも「源頼朝像」として掲載されていたこの肖像画は姿を消してしまった。

このように「歴史研究」は日々進歩し、歴史そのものも「進化」していると感じる。ここまで述べた「鎌倉幕府の成立」も、現時点での「最新版」であって、決して「最終版」というものではない。研究・発見が絶えることなく続く限り、歴史教科書はこれからも内容が書き換わっていくことは必然だろう。

2022年の大河ドラマの『鎌倉殿13人』を、きっかけにぜひ興味をもった人物、時代から「みなさんが学生時代に習った日本史とは違う最新の日本史」を改めて学び直してみてることもよいだろう。

以上

【参考文献】
改訂版 詳説 「日本史B」 山川出版社 平成29年度版 文部科学省認定済教科書