「赤チン」の製造終了。昭和の産業遺産がまた消える!

「赤チン」の製造終了。昭和の産業遺産がまた消える!

子供の時は何回もお世話になりました。遊びまわってすり傷、切り傷、刺し傷などなど、傷だらけでそこに塗れば安心していました。とても懐かしい思い出です。
赤チンは使ったなぁ… 昭和の人間として無くなるのは寂しい。
時代の流れか…2020年は昭和の産業遺産と言われるものが、多く消えてしまった気がする。簡単な言葉でしか表現できないが…仕方ないかぁ。

今でも工場では小さい怪我の労災のことを“赤チン災害”と呼んでいるが、昭和を知らない世代にとっては、何のことなのか知る余地もないだろうなぁ。完全に死語になるってことですね。赤チンは傷にしみにくくて好きだったんですけどねぇ。

昭和を知らない世代に「赤チン」ミニ基礎講座
映画「三丁目の夕日」やアニメ「ちびまる子ちゃん」でも描かれた昭和を代表する消毒薬「赤チン」、1939年(昭14)、日本薬局方(国が定めた医薬品の規格基準書)に収載された赤チンは、最盛期の60年代、全国約100社が製造。国内最後の1社となっていた三栄製薬でも月10万本を出荷した。ヨードチンキ(ヨーチン)に比べ傷にしみず、痛くないことから、保健室や家庭に欠かせず、すり傷や切り傷ができた子どもたちの膝や肘は赤く染まっているのが定番だった。今、思えば懐かしく思い出される。

1971年に無色でスプレータイプの「マキロン」(当初“白チン”とも呼ばれた)が登場。一方、赤チンは原料のマーキュロクロムを製造する際、水銀が発生することから国内での原料製造が1973年に終わり、徐々に時代に取り残され始めた。三栄製薬を含めて、海外から原料を調達して製造を続けるメーカーは2000年代に入ると3社になっていたと聞く。

2018年末には、三栄製薬だけになった。「水俣条約」(水銀を使用した製品の製造、輸出入を規制する国際条約)で2020年12月31日以降、赤チンも蛍光灯などと同様に規制対象となることから、三栄製薬も幕を下ろすことになった。知っているのは昭和の人たちだけになりましたが、全国に根強いファンがいるようである。

今では優れた治療薬が数多く出回り、赤チンだと塗ったことが一目で分かることから人気が無くなったのかもしれない。子供の頃、小学校の保健室で本当にお世話になった「赤チン」さようなら!

以上